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福岡高等裁判所 昭和38年(う)798号 判決 1964年3月05日

被告人 吉元明こと小西人史

主文

原判決を破棄する。

本件を小倉簡易裁判所に差戻す。

理由

検察官片山恒が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の検察官鎌田亘提出の控訴趣意書に之に対する弁護人の答弁は弁護人諫山博提出の答弁書に記載のとおりであるから、これを引用する。

同控訴趣意(事実誤認)について。

よつて、記録を調査するに、本件公訴事実の要旨は、被告人は昭和三八年四月二五日午前一〇時五〇分頃北九州市小倉区魚町五丁目丸和フードセンター第五勘定場前附近において現金窃取の目的で落合敬子着用の半オーバーの右ポケツトに左手を差入れ財布を窃取しようとしたが、その目的を遂げなかつたものであるというのである。

これに対し、原判決は、被告人が、現金を窃取する意図の下に落合敬子の着用の半オーバー右ポケツトに手を入れたことはこれを認めるべき証拠がなく、たゞ同人のポケツトから上質ちり紙一束をすり取つた事実は明らかであるが、かりにこの場合現金を窃取する意思があつたとしても、一個の窃盗罪の既遂であつて現金窃取の未遂とちり紙窃取の既遂とが併存するわけではないから訴因の変更を示唆したにかかわらず、検察官はちと紙の窃取について審判を求める意思のないことを明らかにしたので、本件において、前記未遂の訴因中には既遂の事実は含まれないものと解すべく、本件訴因にいう現金窃取の未遂の事実が存したか否かを検討しても、被告人にその着手のあつた事実が認められないとして無罪を言渡したことは判文自体により明らかである。

おもうに、被告人が現金窃取の目的をもつて落合敬子着用のオーバーのポケツトに手を差し入れたが、たまたま在中していたちり紙一束を窃取した事実があるとすれば、ちり紙について窃盗既遂罪が成立することは明らかであり、現金窃取の目的でちり紙を窃取したのであると、ちり紙窃取の目的でちり紙を窃取したのであるとを問わず、ちり紙について一個の窃盗既遂罪が成立するのであつて、当初現金窃取の目的をもつてポケツトに手を差し入れたのであるからといつて、右窃盗既遂罪と別個独立に現金に付いての窃盗未遂罪が成立する余地はなく、ちり紙についての窃盗既遂罪が成立すべき場合でもなお現金についての窃盗未遂罪が成立するとの所論は相当でない。

そして、窃盗未遂罪の訴因と同既遂罪の訴因とは元より同一の公訴事実であるが、窃盗未遂罪の訴因が存するにすぎない場合に直ちに窃盗既遂罪の訴因に付いて審判をなすことは許されないから、窃盗既遂罪の訴因に付いて審判をなすには、窃盗未遂罪の訴因を窃盗既遂罪の訴因に変更するか若くは同訴因を予備的に追加する要のあること言を俟たないのであるから、これがなされなかつた本件において、原審が窃盗未遂の訴因について審理裁判しなかつたことは毫も違法でなく、これを批難する所論は到底採用することはできない。

しかし、当裁判所が職権で審査するに、検察官はちり紙についての窃盗既遂罪の訴因を予備的に追加したので、今や裁判所は窃盗既遂罪の訴因について審判をなし得るに至つたのであるが、予備的に追加された訴因事実については、被告人に現金窃取の意思があつたか否かを究明した上で右訴因について更に審理を尽す要あるものと認められるので、ひつきよう、原審は審理を尽さず、従つて訴訟手続に法令の違反があり、その誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決は破棄を免れない。結局論旨は理由あるに帰する。そこで刑事訴訟法第三九七条により本位的訴因についての判断を省略し、原判決を破棄し、同法第四〇〇条本文に従い本件を原裁判所に差戻すこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 岡林次郎 臼杵勉 平田勝雅)

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